公募展への出品に
疑問がある自分
ただ単に
その意味をわたしが
持たない理由が
過去の記憶にある
わたしが住処に
絵を描くきっかけとなったのは
共同で使っていた
アトリエの解散だった
共同アトリエの鍵を持っていたのは
8人くらいだったと覚えている
その空間では
自由で
好きな時間に
制作に向かえるはずだった
…それぞれの制作の批評会として
週末に集まる曖昧な制約
土曜日の夕がた…
それは回を重ねる度に
建設的な内容から離れていくような…
そんな風に
わたしは感じていた
自分の制作しか考えていないわたしは
他の誰がどんな絵を描くのかとか
ほとんど眼中に無かった
それぞれが
それぞれの自分
それぞれの時間を
表現していれば
なんら問題はないと…
自分の事情ではあるけれども
両親を続けて亡くした
当時のわたしにとって
絵を描く行為は
現実の悲しみから
離れて無になれる時間でしかなかった
しかし
…他者の制作に対して
それぞれが自分本位で
批評し始める
…いつしか
分割された家賃などを
支払わない人や
作業場として
利用しない人が出てきて
継続が難しくなった
それでも
そのアトリエに興味を持ち
新しく入って来たいという
人間がいたのだけれども
敷居の高い場所として
運営を保っていた筆頭者は
寄進な新しい風を迎えることを
拒んでいた
それなりの理由はあったとは思う…
風通しのいい
風
という場所だと
考え違いをしていたわたしは…
大量のカンバスを片付けるとき
自分の美術への想いを
確立していくことになる。。